[OSM-ja] 地図間違いについての記事
SHIBATA Akira
help @ eva.gr.jp
2008年 9月 29日 (月) 01:37:08 BST
柴田(あ)です。
自説開陳、意見歓迎。
<48DF575B.4080308 @ mqj.biglobe.ne.jp> の、
"Re: [OSM-ja]地図間違いについての記事" において、
"Sun, 28 Sep 2008 19:07:23 +0900" 発信のメイルで
"Taro Kawahara <tarokawa @ mqj.biglobe.ne.jp>"さんは書きました:
> Hiroshi Miura さんは書きました:
> > 地物のなかには、当事者が編集しないほうが
> > よいとおもわれるものもあるのでしょうか。
> >
> いや、むしろ逆で、地元の人でないと描けない表現や選べない
> 選択肢がたくさんありそうですね。 OSMの面白さが一段と
> 増したのではないかと私は思っています。
地図情報はある意味その地域にすんでいる人の
地域情報で(←あたりまえ)、個人情報の拡大版と
いいましょうか、ソのスジでいうところのパーソナルスペース
http://www8.plala.or.jp/psychology/topic/personal.htm
…あぁいい表現がありました、ナワバリの情報なわけです。←柴田(あ)説
すなわち個人情報が自身でコントロールできる状態で
ありたいのと同じように、ナワバリ情報もそこに住んでいる
自身(ら)でコントロールできる情報でありたいのでは
ないかと思うわけです。
と想像するところから拡大して、たとえば
・真の聖域(サンクチュアリ)はヨソモノには来て欲しくなければ
記載しないで置いておく
・今回の件のように通過してほしいルートが別にあるなら
そちらをメインに書いて、そうでないところは記載しないとか
ぬるくしておくなどする
・メダマな地域があるならソコについてしっかり記載するとか
まぁ、そんなこんなが実現できそうに思います。
> また、これは興味深い検討課題で、同じWiki風のメディアで
> ありながら、百科事典と地図とでは違うところがあるのかも
> 知れませんね。
百科事典は第三者の視点で記載するわけですが、地図ってのは
基本的に当事者視点にならざるをえないので、その辺が
影響しているような気がします。
--
あまねく生命に、あまねく知性に、最大の幸福を願う
E-mail:help @ eva.gr.jp
Talk-ja メーリングリストの案内