[OSM-ja] 町名のplaceタグ

ISHIKAWA Takayuki zhnosa-open01 @ yahoo.com
2021年 7月 30日 (金) 09:47:33 UTC


こんにちは、奈良の石川です。

gyotoku810 さん、素早い返信ありがとうございます。






2021年7月30日金曜日 4:32:56 JST、gyotoku810 <gyotoku810 @ gmail.com>が書いたメール: 
まず、一般住民が生活の上で住所の階層構造について考え明確に認識しているという場合がどれほどあるでしょうか?大抵の場合はむしろ地名の場所や範囲を知るために地図を開くことのほうが多いでしょう。その点で「住民の認識」は非常に脆い判断材料と言えます。仮に行政と住民の認識が乖離しているとして、住民の認識は通称名でありadmin_levelをもった行政区画ではないのは明らかです。行政の示している地名が、住民が使用すべき最も一般的に通用する地名ではないですか?反例があれば示していただきたいです。





はい、ですから、行政が示した「宮の森」などの地名 (公示に拠らないものも多数含む) が、住民が使用すべき最も一般的に通用する地名だと思いますよ。(というか、住民が使っている一般的に通用する地名を行政が借用している、という認識です。)





2021年7月30日金曜日 4:32:56 JST、gyotoku810 <gyotoku810 @ gmail.com>が書いたメール:
そして町名と丁目の分割に対する住民の認識についてですが、
・「自分は一丁目に住んでいる!」
・「自分は八幡一丁目に住んでいる!」
どちらが住民の認識でしょう?後者のほうが地名の認識としては普通だと思います。住民の認識を尺度としても、分割しないほうが適切ということになります。






短時間で回答いただいたので (急いで事例を書いていただいたと思うので) この件に突っ込むのはあまりよくないかも知れませんが、議論の題材としては恣意的な悪い提示だと思います。提示するなら

(A1) 「自分は一丁目に住んでいる!」
(A2) 「自分は八幡に住んでいる!」
(B) 「自分は八幡一丁目に住んでいる!」

とすべきです (八幡という階層を設定するかどうかという議論だからです)。そして、地域によって異なると思いますが、私の認識は圧倒的に (A2) であり、それを詳細に示すために (A1) や (B) を表現することが時々あります。

私が札幌に住んでいた時の帰属意識の強弱は以下の通りでした。住んでいる場所について友人と話をする際も、話題となる階層はほぼいつも「〇〇」でした。

北海道: 帰属意識 強
石狩支庁: 帰属意識 弱
札幌市: 帰属意識 強
□□区: 帰属意識 中
〇〇: 帰属意識 強
X条: 帰属意識 無
Y丁目: 帰属意識 弱






2021年7月30日金曜日 4:32:56 JST、gyotoku810 <gyotoku810 @ gmail.com>が書いたメール:
「□□」という行政区画は存在しないとは言いましたが、町字名の一部に含まれる地名です。地名として認めていないはずがありません。もちろん「□□」という町字名で告示されてはいないでしょう。





ここが根本的な認識の違いかと思います (muramoto さんへの返信にも書かせていただきました)。

私は、行政区画の名称も地名の一種であり、だからこそ住民の認識が最優先されるべき、という立場です。しかし、「行政区画の名称は地名の一種ではない」という方が多いという結論が出るなら、(同意はしませんが) 結論には従います。





2021年7月30日金曜日 4:32:56 JST、gyotoku810 <gyotoku810 @ gmail.com>が書いたメール:
> 札幌市長自らが部分文字列を用いている (告示とは異なる階層化をした文字列を行政で用いている) 
とか、「〇〇行政」「△△行政」などによって階層化が異なる、とか、石川さんは難しく考えていらっしゃるようですが、単に複数の「□□X丁目」を総称しているだけではないですか?なぜ「異なる文字列を用いている」と解釈されるのか分かりません。行政区画として告示された「□□」が存在しなければ「ごみ行政」でも単に通称を使っているだけでしょう。






行政が表現した概念は全て administrative entity である (通称などとして別に扱うことがおかしい)、というのが私の立場です。ただ、この点は議論してもあまり実りがないと思います。







2021年7月30日金曜日 4:32:56 JST、gyotoku810 <gyotoku810 @ gmail.com>が書いたメール:
そもそも(住所の表記に用いられる)地名の名称および範囲は自治体が定めるものであり、原理主義でも文化的侵略でもありません。市町村合併に伴う歴史的地名の消滅など『文化的侵略』と表現し得る事柄はありますが、あくまで現在行政で定められているものが現在の地名です。






その考えこそが、私が受け入れられないものです。私は「世界がOpenStreetMapを必要とする理由」

https://qiita.com/nyampire/items/073c850f083cf9fb8d35

を読んで OpenStreetMap の趣旨に賛同し、地名は住民のもの (地図の中身を Google などだけに握らせるのは望ましくない) という思いで今まで貢献してきましたが、住民の認識を蔑ろにして行政を優先するのであれば (行政が Google にとって代わるだけであれば)、私にとって OpenStreetMap は価値がかなりなくなります。私は友人に「OpenStreetMap の精神は死んだ」と伝えるでしょう。







2021年7月30日金曜日 4:32:56 JST、gyotoku810 <gyotoku810 @ gmail.com>が書いたメール:
> 行政機関や補助機関でない OpenStreetMap がそのうちの一部に過ぎない命名に自ら制限されるようにする
OSM以外にも市販の地図はふつう行政の定めている地名を掲載するでしょう。それ以外の愛称だかを載せるのは別趣旨になります。





いいえ、私が札幌に住んでいたころに自宅にあった市販の地図は、「宮の森」などの単位で色分けされていましたよ。そのころから地図にはかなり興味があったので、はっきり覚えています。市販の地図でも「宮の森」のような階層を強く意識して作られていたという証左になると思います…と言いたいのですが、多分もう処分されて実家に残っていないと思うので、証拠としては弱いです。





2021年7月30日金曜日 4:32:56 JST、gyotoku810 <gyotoku810 @ gmail.com>が書いたメール:
以上です。取り急ぎ失礼しました。





いえ、素早い返信ありがとうございます。そして、前の e-mail の口調が少々攻撃的だったこと、お詫びいたします。

gyotoku810 さんとは考え方はかなり異なりますが、私が今後 OSM への貢献を続けるかどうかを判断する重要な議論に丁寧に返信いただいたことは感謝しております。

-- 
石川


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